純ちゃんの歴史

昭和42年創業。皆様に愛される焼肉店に。

お客様からの要望。それが焼肉純ちゃんのルーツ


現在の上野台本店があるお店は、その昔パチンコ店でした。
そのパチンコ店で、景品交換と一緒にカキ氷店を営んでいたのが、純ちゃんの創始者である純子さんが働いていました。

お客さんがパチンコに勝つと、交換所の純子さんから景品の交換ついでにカキ氷を買うのが当たり前に。

そんな中で常連さんからこんな要望が。

「なぁ純子さん。そのカキ氷の氷でお酒を冷やして売ってくれんかね?」

パチンコに勝って気持ちよくお酒が飲みたいのだが、交換所で勝った勢いそのままで一杯したい。
負けても一杯して忘れたい、と。
その常連さんのお願いを聞き、交換所で簡単にお酒の飲める簡易的なスペースを作り、お酒の販売を開始しました。

すると次の要望が。

「純子さん。やっぱりおつまみも欲しいんだけど。」

そこで純子さんは思い切って交換所を改装。
居酒屋純ちゃんをオープンし、居酒屋としての営業を開始しました。

それが焼肉純ちゃんのルーツです。

「全部ツケ」。お客様に愛される居酒屋に

居酒屋純ちゃんをオープンすると、今ではありえない光景がそこにはありました。ビールはお客さんが勝手に冷蔵庫から出し、何を注文し、何を食べたのか、お客さん自ら申告をする。しかも当時の飲み食いは全てツケ。お客さんとお店の信頼で飲み食いをする居酒屋でした。

お店への支払いは、給料日になると自分からツケを払いに来るというおかしなシステム。
お金を払うために行列が出来る。なんとも変な光景だったと聞きます。

まさにお客様に信頼され、お客様に愛されるお店でした。
それは純子さんの人柄、そして優しさがなせる光景だったと思います。

パチンコ店が閉店に。ピンチをチャンスに!

純子さんの人柄で地域に愛される居酒屋となったお店は、純子さんの息子が調理師専門学校を卒業し、実家の居酒屋を手伝うようになり、より一層忙しくなっていきました。

そんな時、居酒屋純ちゃんに転機がおとずれます。隣接しているパチンコ店が閉店に。これをチャンスだと思った純子さん。お店をパチンコ店の場所へ移転し、店舗を拡大させる決心をしました。

その時、居酒屋から焼肉へお店の業態を変化させ、息子に二代目を継がせ、焼肉純ちゃんをオープン。
これが、現在の焼肉純ちゃんの始まりです。

家族3世代が楽しめるお店。地域に愛される焼肉店に。

今では三代目がお店を切り盛りし、お店を盛り上げています。

居酒屋純ちゃんから50年以上の歳月が流れた今も、当時と変わらず地域のお客様に足を運んでいただいております。
家族3世代が通っていただけるお店となれたのは当店の自慢でもあります。

美味しい焼肉を皆様にお腹いっぱい食べていただき、幸せな時間を過ごして頂きたい。
それは創業者である純子さんから受け継がれた思いでもあります。

「関わりある全ての人を幸せにする」

これからも、会社の理念でもある「幸せ」を追求し、より地域のお客様に愛されるお店を目指し、これからも努力を続けていきます。